昭和五十六年四月八日 朝の御理解
御理解第五十節 「とかく、信心は地を肥やせ。常平生からの信心が肝要じゃ。地が肥えておれば、肥をせんでもひとりでに物ができるようなものぞ」
金光大神の教えを頂き、、金光大神の教えに忠実であらなければならない。しかも、その在り方が合楽理念に基づいてそれがなされて行く時に、その気になれば誰でも教祖の御教えを楽しく有難く行じて行けれるとまあ思いますが、皆さんもそれがそうだなあと確信して頂けれるおかげを頂かなければなりません。ですから、皆さんがその気にならなければ、皆さんの皆がひとりでに物が出来るような言わばおかげを頂かれることが出来るのです。
沢山なお道の信者がおりますけれども、ひとりでに物が出来るようなおかげを頂いていないということになると、いかに教祖の御教えを忠実に守らなかったか、またそんなにも守りにくかったのか、頂きにくかったのかも分かりません。
けれども合楽では、このようにまあ合楽理念に基づく教祖の御教えの実験、そして実証を重ねながらおかげを頂いて行くということが、そのまま地を肥やすことにもなり、ひとりでに物が出来るようにもなるのですから、皆さんに、もう合楽にご縁を頂いておる一人一人が、そこに信心の稽古の焦点を置き、またそこの焦点に合わせながら、信心を進めて頂きたいと思うんです。
ですから、ひとりでに物が出来るようになったら、そこで慌てるようなことなしに、ひとりでに物が出来るのですから、そこにおごることなく、まあそのひとりでに物が出来てくる、生まれてくるそのおかげをいよいよ有難いと、子にも孫にも伝えて行けれるようなおかげを頂いてもらいたい。
昨日は御本部参拝で、私共は一日早よう広島支部の御大祭を奉仕しましたから、もう大変な盛大なお祭でした。楽なんかでも、笙・篳篥・太鼓まで入って、そりゃ見事な太鼓がありますから、「あん太鼓はどうしたのですか」ち言うたら、西六の明神様で有名な西六のお教会の先生が「そんなこつならば、この太鼓を持って行きなさい」と言うてから貸して下さったと。
そこの西六の明神様の、いわゆる西六の教会の楽人さんも一人見えておられましたが、
まあ本当に、広島支部の御比礼だと思いました。百三十本の作っておって下さった玉串が足りませんでしたから。もう本当に、あちらの皆さんの真心が感じられますけれども。
これは合楽の御比礼ということを申しますと、ひとりでに、あちらに支部を作らんならん。信者を作らんならんとして出来たつじゃないからね。ひとりでに物がああして出来ていっておるようなものなんです。ところが、やはり本部辺りでは、合楽が広島辺りまでも福山辺りまでもまあ進出してきたというのでね、色々問題になるらしいんです。
昨日そんなこととは違いましたけれども、若先生が皆さんと一緒に参りましてから、丁度出がけに本部の方から、教庁の方から電話が掛かって、私と若先生と二人で、その布教部の方へ訪ねて頂きたいということであったですから、二人で参りました。たら、まあ色々の中に、大分は南米布教のことでございましたが、まあ大分は、あんなに神経を使われなくてもいいんだと思うですけれども。
まあ末永先生があちらでやり過ぎると。特にあのサントマイロのここにしばらく修行しました鴨田さん所で、人が段々集まりだした。そして月次祭たんびんに末永先生が行って、お祭をしておると。そんなこともないと思うですけどね。そんな遠い、そんな簡単に行ける所でもないと思うけれども。
しかも、その月次祭がそのサンパウロの教会の月次祭と同じ日にしておる。だから、サンパウロの教会の信者が取られてしまっておる。そういうことを平気でされるようだったら、ビリグイの教会も引き揚げなければいけない。
まあそんな話を聞かせて〔頂いた〕。ビリグイ市長のメッセージが大祭度に来るそうだけれども、あれは新田という元の教会の息子さんが市長に頼んで書いて貰いよんなさるのと、まあそういうようなことを私共親子に聞かするつもりだったらしいんです。
私は黙って聞きよったけれども、申しました。「たとえ、なら、新田さんが頼んで市長に合楽の大祭ですから、メッセージを書いて下さいと言われて送ってきたのでもそれでいいんじゃないですか」と。「そりゃ言うならば合楽の御比礼ですよ」と。
例えばなら、本部の方へですよ。元は岡山県知事の代理人の方が参ってきましたけれども、今はそれがありませんですね。なら、岡山の県知事に誰か県知事と心やすい人が、「今日は本部の大祭だからどうぞ参拝して下さい」と。また「メッセージを書いて下さい」と言うて。ならたとえそれが頼んでからであっても、もしならそれだけだったら、なら本部でそれを新聞にでも取り上げて、大々的に県知事が参拝されたというようなことを言うのじゃないかとね。
例えば、総理大臣でもよい。総理大臣が金光教の御大祭のためにメッセージを送ったと。それは総理大臣には信心がない。誰からか勧められてそうした。それもそりゃ金光教の比礼じゃないか。だから、たとえ、なら誰かがその大祭たんびんに、合楽の大祭だからメッセージを書いてくれ、そして送ってきよるというのは、成程信心。そんなことだと言う意味のことを言うから、私が申しました。「それでいいじゃないか」と。
けども実際はね、若先生が説明しよりました。先だってからも、本部の方に連絡致しま
したように、伊万里市長があちらに参りました時には、それこそ市長から市会議員まで飛行場に出迎えに出とったじゃないか。しかもあちらで講演会という時には、市長、その市会議員までが皆、その竹内先生の話を拝聴するといったような、例えば勧められたくらいでそんなことが出来るだろうかとまあ言うなら思いましたけれども、若先生はただ市長が行って、こうこうだったといったようなことをね。
まあ本当に合楽にメッセージを送って下さる。それも言うならばビリグイ教会の御比礼である。しかも、なら奥さんのご病気のご依頼があったり、ご自分の病気の入院される時のお届けがあったり、言うならば合楽じゃない、ビリグイ教会の信者なんだ。それを誰かがそのまあ色々に言ってあるんでしょうね本部の方へ。まあ私は問題がいちょん問題でないような感じなんだけれども。
まあそういうことをすると、南米のならビリグイ教会を引き揚げてしまわんならんと。「引き揚ぐらええじゃねえか」ち言おごたばってんね。とてもとても南米に布教に出るということは、大分、絶対、国と国との関係から言うても出れれることじゃない。合楽の修行生だったからこそ出来たんです。大体行けるところじゃないです。
だから本当に言うならね、もう南米の言うならブラジルだけじゃない。南米地区がもう末永先生に、「あんたに任せるからしっかりやってくれ」と本部が言うくらいなものがなからにゃいけんのじゃないかと私は思うたんです。けどもね、黙って聞いていたんですけども。
これなんかどうでしょうか。ひとりでに物が出来るようなのを摘み切ろうとしている。根から引っかごうとしとるようなことじゃないでしょうかね。だから皆さんがです。どうでも一人一人がです。ひとりでに物が出来るようなおかげを頂いてもらいたい。そういう時になってから、あんまり出来過ぎたからといって引きかぐようなことのないような信心もね、しとかなら、とにかく大きな信心をしなければ駄目だということです。
まあ話を聞いとって、まあ何と勝彦が申しました。若先生が、「本部が発展しないはずですねえ」と言うて、「ほんなこつね」と言うて私もまあ聞いて参りましたけれども。まあそりゃこりゃ別としてです。いわゆるひとりでに物が出来るようなおかげを皆さんにどうでも頂いてもらいたいです。
今までのなら百年の間に、それをそのいかに、今日その教えに忠実のようであってもです。どこかが違っておった。だから、なら百年も経った今日、ひとりでに物が出来るようなおかげを頂いている人というのは本当にまあ少ない。
合楽では、言うならその手立てが毎日こうして説かれるのですから、皆さんが本気で、言うなら信心の稽古の焦点をそこに置いて、昨日の福山の御大祭には金光太郎先生の息子さんが参ってありました。四国から見えたという、宮田先生の御両親も参っておられました。だから、参拝教師は変わった方達の玉串でした。
本当にひとりでに、もうまあ言うならば、こげん所にゃあ植えちゃならんような所にどんどんおえて行きよる。生えて行きよる。「そりゃもう、四国のそげなつは引っこ抜いて
しまえ」と言うていったようなことがね、神乍らに、言うならばひとりでにどんどん物が出来て行くのですから、十分一つおかげの頂けれる。ひとりでに物が出来るようなおかげを頂いて頂きたいと思います。
まずはだからね、今日は皆さんがひとりでに物が出来るようになってからのことを聞いて頂いたんですけれど、まずはひとりでに物が出来るような、とにかく「信心は地を肥やせ」と仰せられるのですから、本気で地を肥やさしてもらう信心を身に付けなければいけませんね。
どうぞ。